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赤穂義士四十七士石像市の北西部、東上秋間の岩戸山には、赤穂義士・片岡源五右衛門の下僕・元助が浅野長矩夫妻と四十七義士の供養のため、20年の歳月をかけて建立した47の石像と石宮があります。毎年3月25日には、供養祭が行われます。
安中市東上秋間岩戸3197
岩戸四十七士石像と元助
元助は上州下秋間字館の百姓三右衛門の長男に生まれました。幼にして母を失った為め三右衛門が後妻を迎えましたので、家庭が円満に行かずついに家出して、僅かの金を懐に伊勢参宮を志しました。山田付近で路銀を使い果たして、道行く人の情けにすがっていたのを縄張りを荒すと附近の乞食共にいじめられていたところへ通りかかった浅野内匠頭の代参に伊勢神宮へ来た片岡源五右衛門に助けられ、その下僕となって赤穂に連れられ、主君大事と奉公に励みました。
元禄15年12月13日討入りの前夜、突然片岡から解雇を申渡された元助は悲歎のあまり自殺しようとしました。片岡もその忠心を認めて討入りのことを明らかにしましたが、そのお伴は許しませんでした。義士が本懐を遂げて切腹して相果てましたので、元助は泉岳寺の墓前で泣く泣く四七の供養を行い、生まれ故郷の秋間村に帰ってきました。元助は東上秋間字久保の観音道を仮寓して、剃髪して道心となり、名を音外坊と改め、諸所を巡錫して大方の喜捨を受け、その零細を蓄えて二十余年。ついに東上秋間岩戸山の霊地に、長矩夫妻と四十七義士の石像を建立し、瓢然と諸国巡錫に出て、二度と故郷に姿を見せませんでしたが、房州和田浦長香寺に足を止め、村民を済度し、その天命を知って、黒滝不動の側に岩窟を掘ってその中に入り、自分から石蓋をおおい、「予念ずれば火難諸災難を除け、家内安全、五福寿を増長せしむべし」と遺言し、念仏鉦声裡に三七、二十一日間にて入定しました。時に享保17年9月30日、享年53才でした。
安中市郷土史家 中沢多計治氏稿中より |